2023.08.02
やはり東京は楽しかった。
しかも、今回は途中青森に行ったので
行き帰り2度の東京でおおいに得した感じ。
青森へは広告業界の古い仲間と3人で出かけた。
目的は大間のマグロ釣り。ボクは今一つ乗り気ではなかった。
別に釣りの趣味もないし、揺れに弱くて絶対船酔いすると思っていたし。
しかし、船主でナビゲーターはボクの友人の神山さんだから、
同行しないわけにはいかなかった。
直前まで自分だけ港で待っていようかとも思っていたほどで、
でもまあ念の為に三日間酒を抜き、朝飯後には酔い止めを飲み
万全を期してもいた。神ちゃんに港を出たら7時間は帰ってこないよ、
一人で待ってられないだろう、とか言われて
意を決して船に乗ったのだが。
大間といえば、津軽海峡あれが竜飛岬〜
神ちゃんの船は名前は知らないが大したものでした。
港を出たらいきなりぶっ飛ばして&揺れに揺れた。
波もでっかい、何かに捕まっていないと吹っ飛ばされそう。
こんな揺れじゃ絶対酔うな、と思いつつ沖へ沖へと、
もう反吐が出そうになろうが引き返せないなと覚悟して。
ところが意外となんともなくて、風に吹かれて気持ちいいい。
これはひょっとしていけるかもと、
30代の頃スキューバダイビングにしょっちゅう
パラオだ、フィリッピンだと海外遠征していたことを思い出し、
あのとき船酔いしたことはなかったなあ、と気づいたりして。
もちろん南洋の海は波もそんなにないし、
ほとんど海の中を徘徊してて船酔いしている暇もなかったんだ。
と思うと、船酔いの心配などどっかいっちゃって、ずーっと
日が沈む頃まで7時間は船上だった。
残念ながら大間のマグロは釣れなかった。
ビギナーズラックを期待してはいたがそうは問屋は下ろさなかった。
だよね、2度ほど波の上を飛ぶ姿を見ることができたからそれで良し、
現金なもので次回に期待しよう!とか言ってね。
今回の青森は短くて2泊3日だった。
でも奥入瀬を歩き、酸ヶ湯に入り、
傑作なのは五所川原のねぶた会館と吉幾三コレクションミュージアムだった。
吉幾三の歌いいもんね、三人とも好きでね、カラオケはしなかったけど。
その近所の魚料理の店も良かった。青森に日本中から釣りキチがきて、
ここで必ずと言っていいほど食事して帰るらしい。
確かにどの魚もうまい、そして驚くほど安い。大将はビートルズのコピーバンド出身で、
店内のBGMはビートルズ。不思議な感じでした。
そして、帰りの東京はアート三昧した。
六本木の現代美術館でテート美術館展。ロンドンのテートは3回ほどいってるが、
ここではテーマに沿っての展示だからすごく見やすかった。
上野でもう一度マチス展、行くたびに新しい発見あるな、というより
毎回見落としてるところが多いということか。我が見る力の弱さを感じる。
竹橋の国立西洋美術館でガウデイとサグラダファミリア展。
バルセロナにまだ行けてない。おそらく最後になるヨーロッパは、
パリのドビュッシー記念館とバルセロナに行こうと決めているから、
その予習も兼ねてだね。今、航空運賃がやたら高いし、
とくにヨーロッパはホテル代もめちゃ高だから
お金残しておかないと、とほんとに思う。
表参道のルイ・ヴイトン7階のアートスペースにも行った。
ここは作品を見るというより四方に見える東京の景色がいいよ。
港区からずっと遠くまで見渡せてけっこうな穴場だ。
パリのルイヴィトン美術館は展示作品もすごいが、建物が素晴らしかったな。
今の世界一のお金持ちが作っただけのことはある。
東京は暑かった、今年はことのほか暑かった。
全然仕事しないで、出かけるのは、アート鑑賞と夜の食事くらいだった。
鰻、小籠包、鮨いいよね、蕎麦はなぜか行かなかった。
岡山には久々新幹線、それもひかりの自由席にした。のんびり、
しずかにと思ってたら、とんでもない外人さんに家族連れで
満席状態だった。また来月行く。帰る?かな。
そして、岡山も暑かった。
2023.07.03
準備期間としてはうんざりするほど長過ぎる。
じっくり取り組めるといえなくもないが、せっかちな自分としては
よく我慢しているよね。
おかげで苦手だった将来の設計というか、
そんな長くもないこれからのことを思い描く余裕ができたかも。
まだあと一年はかかるかもしれない、覚悟しておいた方がいいかな。
それだけ楽しめる時間が削られることになるが、まあ、
準備をしっかりやれということかもしれない。
アートのことなど何も知らない、まったくの門外漢のボクが
ギャラリーのようなものを始めようとしている。
そしていろんな人を巻き込んでいる。ほんとに、どうするケンジ!
それこそ夢にも思い描いてなかった単なる思いつき。
その思いつきがいろんな人との繋がりをつくり、ここまできてしまった。
流れ、その流れに乗っているだけかもしれん。
それでいいのかどうか。うまくいかなきゃまた別の何か見つけて、
その何かに乗るだけだろう。
これまでもそんな感じで来た。
コピーライターという職業を選んだのもそういうことだったのかもしれないし、
だから大したこともできなかったんだけど、今ここにいる。
もっと大きな存在になれたような気もするが、
遊びも含めて脇道寄り道の連続だったから、まあこんなところだろう。
紆余曲折、まだありそうだ。
地鎮祭をするにはしたが建物は設計途上で、いつ工事にとりかかれるか分からず仕舞い。
毎朝、その場所に行き、祭の後の寂しい風景を見せられていた。
今日もだったけど、ま、どうやら法的な手続きなどは残されているが、
夏の終わる頃には工事に取りかかれそうな感じになってきた。
葦の森神社の急な石段を息切らせながら登って、生きている間に住まわせてくれよー、と
念じていた思いがやっと叶ったか。
そもそもギャラリーなんて大それたことを考えることになったのは、
一人の大美術家に友人のアートサロンで出会えた幸運から始まる。
おまけにその美術家の作品を楽しむ専用のギャラリーをつくるという
とんでもないことになって。それもいろいろ交渉も何もあったわけでなく、
友人が思いつきのように、作品を買うとか買わないとか言わずに、
いつでも彼の作品を見られるサロンにしちゃえばいいじゃないか、とかなんとか、
で美術家が、あーいいよ、と答えてその場で決まった。
端折った話になってしまったが、ほんとに一瞬の出来事。
おかげでボクは彼の作品に囲まれる人生を楽しめることになった。
こんな幸運ってあるんだなあ、生きてて良かったよ。
(もう少しだけ)
とにかく待つ日日だ。日々じゃなくて、日日だ。
ここ足守に住み始めて一年が過ぎた。
まだ東京に会社はある、未練もある。だから月に一度は東京に行ってる。
帰るから行く、になったのはいつからだろう。
行ったらけっこう長い。東京の毎日は楽しい。以前より全然楽しめる。情報量が全然違うもの。
初めの頃は何か違和感あった。岡山という地方都市、その足守という町の仮住まい。
岡山空港から羽田に降りるとやっぱりここがいいやと思ったりした。
体の移動に心の移動がついていけなかった感じだったが、
最近はすーっとどちらにも馴染めようになってきた。
これを後一年は続けることになる。
2023.05.13
あしもり暮しがずっと仮住まいのままでイライラしている。
そろそろ1年になるのになぜこんなのノロノロ進まないのか。
理由ははっきりしてるよ、でもどうしようもないんだなこれが。
自分ももう少し若ければのんびり待ってられるんだが、なにしろ
75歳、8月には76歳だから今完成したってこの先何年住めるか分かりやしない。
咄嗟に出た言葉だが設計の玉木さんに、オレの棺桶を作って欲しい、
なんて言っちゃったからね、今更どうしようもない。撤回なんかできない。
先日も玉木さんと工務店の社長に、ずっとこんなんだったら
もう引き上げて東京に戻る、なんて啖呵切ったけど、
そんなこと言ってもどうしようもないです今が最速です、と一蹴されてしまった。
プロにそう言われては施主の権力を行使したってどうにもならん。
困った困ったほんとに困った、悶々だ。どうしていいか分からん。
とは言っても、5月10日の大安吉日に地鎮祭となった。
事が順調に進んでここまできた、のじゃなくて無理矢理だな。
どうせ進まないんだったら先にやっちゃおう、
地鎮祭をやってしまえば少しは急いで何かが進むだろうという浅はかな魂胆も
一瞬に打ち砕かれました。まあ工事ににかかれるのは9月くらいじゃないですか、
と玉木さんに言われめまいがした。あー、絶望!
工事が始まってからの出来上がっていく様子を見るのを楽しみにしていたのに、
それもアウト。そんな施主の気持ちなどお構いなしでした。
棺桶づくり、我ながら上手いこと言ったなと思う。
友人の工芸アーティストのバンホーがボクを人に紹介する際に、
こいつは75歳になってまだ新しい家を建てようとしてるんだよ、と言う。
ほめてるのか馬鹿にしてるのか最初にそう言われた時、
そうかこの歳で家を建てるってそんなに珍しくて変なことなのかと思った。
まぁそうなんだろうな、後何年も生きられるわけもないしな。
でも、これはほんと後付けで考えたことなんだけど、棺桶なんだよ。
自分の棺桶は自分で作る、そう決めたんだ。
たった60坪ほどの土地だけどここに自分の好きなものを全部詰め込んで
あの世に行こうと。どうせ人に残す財産のようなものなど持ってないし、
自分の好きな物が残っても誰も理解してくれないだろうから。
残してもしょうがないから。マイ棺桶。気に入ってる。
玉木さんに頼んだこの家の設計コンセプトです。
2023.02.21
ブログを書いていたことも忘れていた。のではなく、書こう書こうと
思っていたままなんとなく今日までなってしまった。こんなに筆不精だった?
いや、単にパソコンに向かうのが億劫なだけだ。
毎日日記のようなものは書いているんだけど、
その日のことはその日に書いておかないと翌日には忘れてしまうという理由で。
それくらい記憶力が落ちているね、怖いくらいに。
変化のないちょっとメモるくらいで事足りるような日常、
忘れてもいいようなことしかない日々の連続、
記憶に残らないのだ。 哀しいことに。
ここ岡山の足守での生活を「あしもり暮し」と呼んでいる。
一言で言えば退屈そのものな暮しなんだが、でもそこが気に入ってもいる。
時間に追われるような予定もなく、ずっと以前には考えられなかった毎日。
働き始めてからというものは、せかされていないと不安で、
少しオーバーだけど忙しくないと世の中から取り残されていくような。
あくせくそれなりにいっぱしの仕事をしている気になっていた
その頃の自分を思い出し、ちっぽけなことを大仰に勘違いして
やっていただけだったんだよと、ちと恥ずかしくなることもある。
いや、そんな過去のことを振り返るんじゃなくて、
退屈な暮しなんだけどこんなのもいいよと思っているあたりを書く。
東京と同じく一人暮らしだから気まま、でそのうえ閑だ。
基本的には何もすることがない。仕事と呼べるものがない。いや、
時折リモートの打ち合わせをやる。なんだか変な、臨場感があるようでない
ミーティングなんだけど週に何回かやる。だいぶ慣れてきたところかな。
ミーティングをやるということはまだ少し広告的な仕事をさせてもらってるということ。
まだ出来る、自信もありあり。物忘れはひどいけど、反してアイデアは自分でも
信じられないくらいビンビン湧いてくる。
バリバリコピーを書いてたころにこれくらいアイデアが浮かんでいれば
もっといい仕事ができていただろうなと思うけど、
ま、それはないか。
ことばとビジュアルを含めた表現を考えるのは楽しい。だいすきだ。
別にクライアントのためにではなくてもいいのだ。
自分自身を表現するのでも。自分のことを。ん、誰に?うん、誰でもでなく、
ただ表現することが。自分に絵が描けて、デザインがビシッとできたら
もっと楽しいだろうと、、今更だけど。
これから自分の住んでいく町足守を表現していこうかと思う。
それはこの町に土地を見つけた時からずっと思い続けている。
東京と岡山の2ヶ所で暮らそうと決めたのにはいくつか理由があるけど、
ただ岡山は実家以外で意味のある場所にしたかった。
足守に来たのは小学生低学年の頃以来、ほとんど記憶に残っていなかった。
でもこの町に入った瞬間なんか感じたんだね、この古い侍屋敷の町に。
過疎というほどじゃないけど薄寂れていたこの町を
住みながら、暮らしながらなんとかできそうな、
自分の手に負えそうな可能性を感じたんだ、なぜだかわからないけど。
この足守の町に呼び戻されたのかも、
親父の生まれ故郷だから。
ブログで?SNSで?なんでもいいから少しずつやろう。
そのためにまずは自分自身がこの町に溶け込んでいって、
少しずつ発信力を持てるような存在にならなきゃいかんな。
というわけで毎日町中をぶらぶらしている変な老人になっている。
侍屋敷の町並みはなかなかのもので毎日何かしら発見がある。
狭い町だからそのうち顔見知りになって知り合いも増えていくだろう。
すれ違う人たちには全員に挨拶する、皆さん必ず答えてくださってホッとする。
これからだ。
2021.07.28
今回の岡山はたぶん長くなりそう。岡山ってこんなに暑かった?
という毎日が続いている。暑い夏はだいすきだけど、さすがに73歳の
我が身にはこたえる。今年はとくにだね。
岡山の自分の住居兼オフィスだった家は先月に売却してしまったので
しばらくは岡山ではホテル暮らししているが、自分の家の暑い中
過ごすよりはこれは意外と快適。狭いいわゆるビジネスホテルだけど
今のボクの日常には何も不足はなく、これで充分。
岡山市街のど真ん中にあり実家とも近いし。
実家は猫屋敷化してもうちょっと住める状態ではない。
よくこんなところに住めるなというくらいものに溢れ、
散らかり放題のところに我妻は7匹の愛猫たちと暮らしている。
ボクの入り込めるスペースなんかない。夏の終わる頃には
妻と猫のための新居が完成することになっており、妻と猫たちは
そっちに引っ越す。その後の実家を建て直してそこに今度は
ボクが一人で暮らす、という算段である。実家と妻と猫たちの
新居とは目と鼻の先、妻に何かあったらすぐに駆けつけられる。
こういう岡山、東京行ったり来たり生活はもう5年近くなるなあ。
故郷の岡山でも仕事ができたらいいなと思っているうちに、
幸運にも何社かのクライアントとも出会えてそこそこ仕事ができている。
感謝だね。東京での仕事も何とか現役でいられてうれしい。
コピーライターという仕事ってほんとう好きなんだ。
何じゃかんじゃ考えながらアイデア思いついたり言葉を探したり
飽きないよ。調べごとするのも面白いし、相棒のデザイナーから、
デザイナーは仕事によっていろんな人に頼んでいるけどビジュアルが
出来上がり始めてくるとワクワクしてくる。
自分でデザインできたり、コンテかけたりしたらもっと楽しいだろうね。
でも、いろんな個性のデザイナーと仕事するのも楽しみの一つだから。
以前はtvcmとか新聞雑誌に掲載するいわゆるマスの広告が多かったけど
今はwebやsnsの企画がらみのものがほとんどだね。これがまた新鮮で
面白くてメディアは変われどコミュニケーションという意味では同じだから。
ボクが目指すのは言葉がトリガーになってweb上にそこにしかない
アートやデザインを生み出してもらうことだ。今のwebのデザインは
ほとんど既製品で退屈だし、言葉も響くものがない。
そう思っている人多いんじゃない?
ジャンルで言えば農業とか、地方自治体の仕事に興味があって、
これはボク自身が積極的に売り込んでいってる。
こういう地味だけど世の中に必須な世界へもっとデザインとか言葉とか
音楽とかの楽しげな気分を持ち込んで行けたらなあと思ってる。
自分にその力があるかどうかたいして自信あるわけじゃないけど
図々しく首を突っ込んでやろう、そんな気分で
あと10年くらいはいけるかも。