WAKAYAMA KENJI
若山憲二
コピーライター
株式会社若山憲二代表取締役
1947/08/23
岡山市生まれ
my history
経歴
1970年関西学院大学経済学部卒業
ナショナル宣伝研究所、フリー
1973年博報堂入社/コピーライター、クリエーティブデイレクター
1988年株式会社大會社設立/代表取締役、コピーライター
2009年株式会社若山憲二設立/代表取締役、コピーライター
my client
今までの主な仕事
パナソニック/独身者用冷蔵庫「男の箱」
「愛とは軽はずみなものさ。」
ナショ研所属の23歳。
初めてビッグクライアントのコピーを書いた。
平凡パンチ掲載1pモノクロの地味な広告だったけど、
物珍しさからか東京コピーライターズクラブの新人賞に選ばれた。
平凡社/国民百科事典
「今日はじめて百科に赤を入れた。」
博報堂入社後最初のメジャーな仕事。ピンチヒッターで
回ってきた仕事がTCCの特別賞に選ばれた。
敢えて起用してくれた高山制作室長に
感謝している。
日本レイランド/MGBスポーツカー
「寒くてよければ送るよ。」
英国の名門スポーツカーのコピー、
自分の一番好きで気に入ってるコピーだ。
雑誌掲載だけの小さな仕事だったけど、
はじめてハワイロケにも行けたし、
自分らしい愛すべき言葉だと思う。
理解あるクライアントだった。
富士XEROX/複写機
「小さくても高性能。」
カネボウ化粧品/秋・夏のキャンペーン
「how many いい顔」
「すみれseptemberラブ」
「キッスは目にして!」
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」
「崩せるものなら崩してごらん。」
化粧品のコピーを担当できるなんて夢みたいだった。
博報堂内のコピーライター同士で競合して
自分のコピーが選ばれた。毎年、その季節に
自分のつくった言葉がTVから流れるヒット曲になるなんて
信じられなかった。
スズキ/カルタス
「オレ・タチ・カルタス。」
博報堂のクリエーティブを信頼し、
大切にしてくれたクライアント。
博報堂を退社するまで、
殆どの車種を担当させてもらった。
とくにカルタスというクルマでは
舘ひろしさんで多くのCMをつくった。
ややあざとい映像と海外のアーティストの音楽で
毎回高い評価を得た。
何年も週2で浜松本社に新幹線で通った。
日立マクセル/カセットテープ
「音は言葉より痛かった。」
自分にしかできなかった、と思える仕事。
上のキャッチフレーズは日本のロックバンドMODS起用の
CMのときのものだけど、年に2回の新作には
毎回海外のアーティストを起用した。
どのアーティストにするかをソニーミュージックの仲間と
考えるのだが、これがけっこう難事で
これからビッグになりそう、で今は低いギャラ、
という条件に見合うアーティストを探す。
コピーを考えるよりこっちの方にエネルギーを注いでいたかもしれない。
#カネボウ、スズキ、マクセルは博報堂に在籍中、
ずっと担当させてもらった。
新製品、季節キャンペーン、
毎回、毎年キャッチフレーズをを必死で考え、
グラフィック、TVCMも含めたキャンペーン全体の
クリエーティブ・ディレクターとしても働いた。
いいクライアントと仲間がいてくれた。
ラッキーだった。
#あまり誉められたことではないけど、
当時はアルバイトに精を出していたものだ。
今ではコンプライアンスの問題もあって、
あり得ないが、コピーライターとして評価され始めると
けっこうクライアントや他の代理店から声がかかり、
匿名でコピーを書いたり企画を提供したりしていた。
思わぬことで会社にばれたりもしたけど、
上司も同じ経験をしていて、
まあ、大目に見てくれたり。
良き時代だった、のかな。
小学館/ビッグ・コミック
「人貧乏、金貧乏。」
「引退できるヤツは幸せだよ。」など多数。
自分も愛読していたコミック誌ビッグコミックの
CDとコピーライターの仕事をアルバイトで。
アルバイトなのに超ビッグクライアント!
のたり松太郎、ゴルゴ13、釣りバカ日誌、浮浪雲など
当時の人気漫画の主人公をビジュアルにした
地下鉄の中吊りポスターの制作を3年ほど担当。
世相をちょっとだけ映したキャッチフレーズで、
けっこう面白いものができた。adの吉田臣さんの
ダイナミックな構図のデザインがすきだった。
クライアントやプロダウションの仲間が最高で
よく遊んだ。
WACOAL/青山spiral
広告ではなく、スペース開発の仕事だった。
ブラジャーのトップブランド、京都が本社のワコールが
女性に向けの文化事業の一環として東京青山に拠点を
つくるというおおきな計画で、
小学館ビッグコミックの仕事をアルバイトで
出してくれている制作会社の林田社長から声がかかった。
林田社長の大学時代の友人が
ワコールの文化事業部の部長だった。
生意気盛りで身の程知らず、世間知らずの怖いもの知らず、
ビッグコミックのポスターを一緒に作っている
吉田さんもいるし後先何も考えずに引き受けた。
プランづくりから建物が完成し、オープニングまで3年。
博報堂を退社するきっかけになる、自分にとって
大きな転換期になる仕事になった。
広告のコピーをつくるとかではなく、
ワコールの新しい時代へのメッセージとなる事業を起こす仕事。
アルバイトでやる仕事のスケールを超えていた。
そして、広告の世界では出会えることのなかった
ユーザーと直接コミュニケーションすることの歓び、
奥の深さを教えられた。
TVでどんなに評判になっても、自分の手がけたCMを
見ている人を目のあたりにすることはできない。
spiralでイベントを見終えた人たちの興奮気味の
顔ををみたとき、世界観が変わった。
コミュニケーションする醍醐味って、これなんだ。
もっと幅広いコミュニケーションを生む仕事をしてみたい。
博報堂を辞めるきっかけになった。
もちろん広告の仕事をやめる気はなかった。
NISSAN フェアレディZ
「スポーツカーに乗ろうと思う。」
セフィーロ 「マイ スイート セフィーロ」
ローレル 「助手席に愛を。」
シーマ 「CIMA!CIMA!」
企業広告 「あ、この瞬間が日産車だね。」
エルグランド 「夢で終わらせるな。」
博報堂退社後に大會社というコピーラーターだけの会社を
つくった後、しばらくはスパイラルなどの広告以外の
プロデュースを中心とした仕事が多かった。
このNISSANの仕事は古巣の博報堂から声を
かけてもらって取り組んだものだ。
クルマというカテゴリーで専属コピーライターとして
やらせてもらった。
安藤、小沢という旧知の仲間の名ディレクションで、
いいコピーを残すことができた。
とくにフェアレディZは一時期自分の愛車だったこともあり
素直なきもちで書いたものが採用された。
クライアント、博報堂と二人三脚で
幸せな時を過ごすことができた。
オンワード樫山
「五大陸」
「組曲」
「23区」
「自由区」
レディスとメンズ、ネーミングから広告までの
すべてを担当した。この頃の日本のアパレルは元気だった。
服のブランドに日本語を採用することは
画期的で当時の馬場会長の英断だった。
すべてのブランドが売れ行き好調で毎年CMは
新作をつくらせてもらえた。
全ブランドもう自分の手を離れて久しいが、
新しいブランドの登場で、百貨店で
苦戦しながらも現在も健在のようだ。
SK2
「若さとは肌の弾力である。」
ソニー
カラーTV VEGA/新聞
キリン/缶コーヒーFire
「珈琲に辛口あらわる!」
サンリオ
キティ30周年記ャンペーン
HONDA/SEDAN
「クルマと一つになるスポーツ。」
長谷工
「美しい現場」
住友林業/企業/きこりん
「いっしょに未来へ行こう。」
広告の制作者として、ありとあらゆることを
学ばせてもらっている仕事。今現在も継続しており
いつまでも大事に大事にしていきたい、
きこりんだけは人にませられない、
このきもちはいっしょに考えつくったアートディレクターの
清水さんも同じだろう。
クライアントに若くてアグレッシブなコミュニケーションを
生み出そうとしている人がいて、偶然にもその人と出会うことができ、
その人を信じて、考えに考えてつくり上げたものだからだ。
長い広告制作人生においてこれ以上の経験はなかった、
これからもないと思う。
2005年に始まったTVCMと新聞広告を
通じたコミュニケーションはマスメディアでの
露出は減りはしたが、WEBやイベント会場では
住友林業の心をあらわすキャラクターとして愛され、
今なお存在感を高めていっている。
きこりんに接して家を新築された方はもちろん、
住友林業に就職された人も多いと聞く。
このきこりん制作チームはTV、グラフィック担当
誰ひとりとして変わってないことも、うれしい。
#博報堂、そして自分でつくった大會社では
仕事に恵まれた。ほんとうに幸運だった。
大會社も20年続けることができ、
60歳になったとき手離して、
今は気楽に自分だけの企画会社
「株式会社若山憲二」のコピーライター。
仕事はなんでもほんとうに面白いし、楽しい。
好きな仲間にきてもらって、助けてもらって
もっともっと仕事する。
オタフクソース
週めくりカレンダー
もう20年になると思う。
グリッツデザインのAD日高さんと始めた仕事。基本的アイデアは
日高さんが組み立ててくれた。
一年52週、毎週お好み焼をテーマにしたコピーとイラストで表現。
同じコピーは一つもなく、もちろんイラストも。
コピーライターはずっと同じメンバーで、イラストは今5人目の
ミヤギユカリさんが担当してくれている。
ADは日高さんの後、長友啓介さんが名人芸を披露してくださった。
そして今はspotsの大作さんが担当。
女性の描くイラストでかなりイメージが
モダンな仕上がりになってきた。なかなか好評。
何よりもうれしいのが、
全国のお好み焼き屋さんが毎年このカレンダーの到着を楽しみに
してくださっているということです。