2025.05.05
やっとなのか、いやまだ、まだなんだけど、もうどうでもいいくらい待ちくたびれて、
痺れを切らせてもう我慢できなくなって住み始めた。
ここまで来るまでいろいろありすぎた。それはボクのわがままのせいだと
ひとはいうがそうでもないよ。まあ、それでもとにかく先月からこの町で暮らしている。
足守はボクの親父が生まれた町でもある。偶然だ。その足守の町に77歳の今、
戻ってきたというか移り住んできた。
土地柄は大いに気に入っている。昼間はたまに車が通り過ぎるくらいで、
人もほとんど歩いていない田舎町、静かそのもの。古い武家屋敷の町並みが残っているが、
それは残されているというものではなくただ残っているという感じで
もちろん保存されているというふうではまるでない。
住んでいる人たち意識してそれを大事にしようとか、この町の自慢にするとかという気持ちもなさそうだ。
休日など観光客風の人も見かけなくもないがいたって静かなもので
人も町も空気も淡々としている。
それが住み始めて1ヶ月の新住民ボクの感想。
その町筋の角の土地にボクの新しい家が建った。
2階建ての2階が棲家になっている。1階はまた改めて書こう。
その2階の窓から見える景色が大いに気に入っている。残念ながら窓はサッシにせざるを得なかったが
それでも最大限大きなものにしてもらった。その大きな窓から見える山々は壮観、お気に入りだ。
一日中ずっと山を見て過ごしていたいという希望が叶った。まさにこの季節、
青々とした緑が目も気持ちも洗ってくれる。よかった。
2階の3分の1が風呂と洗面、3分の1がベッド&クロゼット、残りの3分の1が畳スペース。
畳スペースは寝転がったり小さな机で書き物したりできる。AVも置いている。
全部丸見えの仕切りのないワンルームで、とにかく一日自分一人だけ裸でも過ごせるような
空間を作ってもらった。飲食以外は全てここで済ませられることになった。
壁はオール白の漆喰。角が一切ないデザインになっている。寝そべって天井を見上げると
摩訶不思議な空間が現れる。デザイナーはお母さんの体内をイメージしてください、といったが、
母の体内にいた時の記憶はないがそういう気分かもしれない。自然光のよく回る空間は優しい、
一日中過ごしても疲れない。
2階は最初は半分くらいを漆喰で仕上げる予定だったが、漆喰名人の設計デザイナーが
職人魂を発揮して全部白く塗ってしまったのだ。徹夜して泊まり込んで。
漆喰の壁のすばらしさは知っていたが予算的にとても全部は無理だと思っていたから、
彼の執念には感謝したい。クリエーターはついつい見境なくやってしまうもの。
土地を見つけてここに住むことにして計画し始めて4年経って、
この月末あたりには建物全部を見ていただこうと思っている。
出会ったばかりの設計デザインに冗談半分でここに、
俺の棺桶をつくってくれ!といったのがことの始まりだったけど、
考えてみればあと何年も住めるもんではないし、2階建ての家では足腰弱ったら住めない。
そんなことわかっているけどやってしまった。
ここで暮らしていられる間はここで多くの人と出会いたい。
自分は人付き合いが決して上手い方ではなかったし、構えてしまって
柔らかく接することができなかったけど、ここでならできそうな気がする。
ここで何をするかずっと考えているし、日々新しい考えが浮かんではまた別の考えが
浮かんでくる。日々アップデートしていることが楽しい。
ここのところ少し気持ちも整理されてきたので
サボり続けのブログを日記がわりに書いていこうと思う。
足守に来て自分ながら少し優しくなってきたように感じている。
kenji3.0
2023.08.02
やはり東京は楽しかった。
しかも、今回は途中青森に行ったので
行き帰り2度の東京でおおいに得した感じ。
青森へは広告業界の古い仲間と3人で出かけた。
目的は大間のマグロ釣り。ボクは今一つ乗り気ではなかった。
別に釣りの趣味もないし、揺れに弱くて絶対船酔いすると思っていたし。
しかし、船主でナビゲーターはボクの友人の神山さんだから、
同行しないわけにはいかなかった。
直前まで自分だけ港で待っていようかとも思っていたほどで、
でもまあ念の為に三日間酒を抜き、朝飯後には酔い止めを飲み
万全を期してもいた。神ちゃんに港を出たら7時間は帰ってこないよ、
一人で待ってられないだろう、とか言われて
意を決して船に乗ったのだが。
大間といえば、津軽海峡あれが竜飛岬〜
神ちゃんの船は名前は知らないが大したものでした。
港を出たらいきなりぶっ飛ばして&揺れに揺れた。
波もでっかい、何かに捕まっていないと吹っ飛ばされそう。
こんな揺れじゃ絶対酔うな、と思いつつ沖へ沖へと、
もう反吐が出そうになろうが引き返せないなと覚悟して。
ところが意外となんともなくて、風に吹かれて気持ちいいい。
これはひょっとしていけるかもと、
30代の頃スキューバダイビングにしょっちゅう
パラオだ、フィリッピンだと海外遠征していたことを思い出し、
あのとき船酔いしたことはなかったなあ、と気づいたりして。
もちろん南洋の海は波もそんなにないし、
ほとんど海の中を徘徊してて船酔いしている暇もなかったんだ。
と思うと、船酔いの心配などどっかいっちゃって、ずーっと
日が沈む頃まで7時間は船上だった。
残念ながら大間のマグロは釣れなかった。
ビギナーズラックを期待してはいたがそうは問屋は下ろさなかった。
だよね、2度ほど波の上を飛ぶ姿を見ることができたからそれで良し、
現金なもので次回に期待しよう!とか言ってね。
今回の青森は短くて2泊3日だった。
でも奥入瀬を歩き、酸ヶ湯に入り、
傑作なのは五所川原のねぶた会館と吉幾三コレクションミュージアムだった。
吉幾三の歌いいもんね、三人とも好きでね、カラオケはしなかったけど。
その近所の魚料理の店も良かった。青森に日本中から釣りキチがきて、
ここで必ずと言っていいほど食事して帰るらしい。
確かにどの魚もうまい、そして驚くほど安い。大将はビートルズのコピーバンド出身で、
店内のBGMはビートルズ。不思議な感じでした。
そして、帰りの東京はアート三昧した。
六本木の現代美術館でテート美術館展。ロンドンのテートは3回ほどいってるが、
ここではテーマに沿っての展示だからすごく見やすかった。
上野でもう一度マチス展、行くたびに新しい発見あるな、というより
毎回見落としてるところが多いということか。我が見る力の弱さを感じる。
竹橋の国立西洋美術館でガウデイとサグラダファミリア展。
バルセロナにまだ行けてない。おそらく最後になるヨーロッパは、
パリのドビュッシー記念館とバルセロナに行こうと決めているから、
その予習も兼ねてだね。今、航空運賃がやたら高いし、
とくにヨーロッパはホテル代もめちゃ高だから
お金残しておかないと、とほんとに思う。
表参道のルイ・ヴイトン7階のアートスペースにも行った。
ここは作品を見るというより四方に見える東京の景色がいいよ。
港区からずっと遠くまで見渡せてけっこうな穴場だ。
パリのルイヴィトン美術館は展示作品もすごいが、建物が素晴らしかったな。
今の世界一のお金持ちが作っただけのことはある。
東京は暑かった、今年はことのほか暑かった。
全然仕事しないで、出かけるのは、アート鑑賞と夜の食事くらいだった。
鰻、小籠包、鮨いいよね、蕎麦はなぜか行かなかった。
岡山には久々新幹線、それもひかりの自由席にした。のんびり、
しずかにと思ってたら、とんでもない外人さんに家族連れで
満席状態だった。また来月行く。帰る?かな。
そして、岡山も暑かった。
2023.07.03
準備期間としてはうんざりするほど長過ぎる。
じっくり取り組めるといえなくもないが、せっかちな自分としては
よく我慢しているよね。
おかげで苦手だった将来の設計というか、
そんな長くもないこれからのことを思い描く余裕ができたかも。
まだあと一年はかかるかもしれない、覚悟しておいた方がいいかな。
それだけ楽しめる時間が削られることになるが、まあ、
準備をしっかりやれということかもしれない。
アートのことなど何も知らない、まったくの門外漢のボクが
ギャラリーのようなものを始めようとしている。
そしていろんな人を巻き込んでいる。ほんとに、どうするケンジ!
それこそ夢にも思い描いてなかった単なる思いつき。
その思いつきがいろんな人との繋がりをつくり、ここまできてしまった。
流れ、その流れに乗っているだけかもしれん。
それでいいのかどうか。うまくいかなきゃまた別の何か見つけて、
その何かに乗るだけだろう。
これまでもそんな感じで来た。
コピーライターという職業を選んだのもそういうことだったのかもしれないし、
だから大したこともできなかったんだけど、今ここにいる。
もっと大きな存在になれたような気もするが、
遊びも含めて脇道寄り道の連続だったから、まあこんなところだろう。
紆余曲折、まだありそうだ。
地鎮祭をするにはしたが建物は設計途上で、いつ工事にとりかかれるか分からず仕舞い。
毎朝、その場所に行き、祭の後の寂しい風景を見せられていた。
今日もだったけど、ま、どうやら法的な手続きなどは残されているが、
夏の終わる頃には工事に取りかかれそうな感じになってきた。
葦の森神社の急な石段を息切らせながら登って、生きている間に住まわせてくれよー、と
念じていた思いがやっと叶ったか。
そもそもギャラリーなんて大それたことを考えることになったのは、
一人の大美術家に友人のアートサロンで出会えた幸運から始まる。
おまけにその美術家の作品を楽しむ専用のギャラリーをつくるという
とんでもないことになって。それもいろいろ交渉も何もあったわけでなく、
友人が思いつきのように、作品を買うとか買わないとか言わずに、
いつでも彼の作品を見られるサロンにしちゃえばいいじゃないか、とかなんとか、
で美術家が、あーいいよ、と答えてその場で決まった。
端折った話になってしまったが、ほんとに一瞬の出来事。
おかげでボクは彼の作品に囲まれる人生を楽しめることになった。
こんな幸運ってあるんだなあ、生きてて良かったよ。
(もう少しだけ)
とにかく待つ日日だ。日々じゃなくて、日日だ。
ここ足守に住み始めて一年が過ぎた。
まだ東京に会社はある、未練もある。だから月に一度は東京に行ってる。
帰るから行く、になったのはいつからだろう。
行ったらけっこう長い。東京の毎日は楽しい。以前より全然楽しめる。情報量が全然違うもの。
初めの頃は何か違和感あった。岡山という地方都市、その足守という町の仮住まい。
岡山空港から羽田に降りるとやっぱりここがいいやと思ったりした。
体の移動に心の移動がついていけなかった感じだったが、
最近はすーっとどちらにも馴染めようになってきた。
これを後一年は続けることになる。
2023.05.13
あしもり暮しがずっと仮住まいのままでイライラしている。
そろそろ1年になるのになぜこんなのノロノロ進まないのか。
理由ははっきりしてるよ、でもどうしようもないんだなこれが。
自分ももう少し若ければのんびり待ってられるんだが、なにしろ
75歳、8月には76歳だから今完成したってこの先何年住めるか分かりやしない。
咄嗟に出た言葉だが設計の玉木さんに、オレの棺桶を作って欲しい、
なんて言っちゃったからね、今更どうしようもない。撤回なんかできない。
先日も玉木さんと工務店の社長に、ずっとこんなんだったら
もう引き上げて東京に戻る、なんて啖呵切ったけど、
そんなこと言ってもどうしようもないです今が最速です、と一蹴されてしまった。
プロにそう言われては施主の権力を行使したってどうにもならん。
困った困ったほんとに困った、悶々だ。どうしていいか分からん。
とは言っても、5月10日の大安吉日に地鎮祭となった。
事が順調に進んでここまできた、のじゃなくて無理矢理だな。
どうせ進まないんだったら先にやっちゃおう、
地鎮祭をやってしまえば少しは急いで何かが進むだろうという浅はかな魂胆も
一瞬に打ち砕かれました。まあ工事ににかかれるのは9月くらいじゃないですか、
と玉木さんに言われめまいがした。あー、絶望!
工事が始まってからの出来上がっていく様子を見るのを楽しみにしていたのに、
それもアウト。そんな施主の気持ちなどお構いなしでした。
棺桶づくり、我ながら上手いこと言ったなと思う。
友人の工芸アーティストのバンホーがボクを人に紹介する際に、
こいつは75歳になってまだ新しい家を建てようとしてるんだよ、と言う。
ほめてるのか馬鹿にしてるのか最初にそう言われた時、
そうかこの歳で家を建てるってそんなに珍しくて変なことなのかと思った。
まぁそうなんだろうな、後何年も生きられるわけもないしな。
でも、これはほんと後付けで考えたことなんだけど、棺桶なんだよ。
自分の棺桶は自分で作る、そう決めたんだ。
たった60坪ほどの土地だけどここに自分の好きなものを全部詰め込んで
あの世に行こうと。どうせ人に残す財産のようなものなど持ってないし、
自分の好きな物が残っても誰も理解してくれないだろうから。
残してもしょうがないから。マイ棺桶。気に入ってる。
玉木さんに頼んだこの家の設計コンセプトです。
2023.02.21
ブログを書いていたことも忘れていた。のではなく、書こう書こうと
思っていたままなんとなく今日までなってしまった。こんなに筆不精だった?
いや、単にパソコンに向かうのが億劫なだけだ。
毎日日記のようなものは書いているんだけど、
その日のことはその日に書いておかないと翌日には忘れてしまうという理由で。
それくらい記憶力が落ちているね、怖いくらいに。
変化のないちょっとメモるくらいで事足りるような日常、
忘れてもいいようなことしかない日々の連続、
記憶に残らないのだ。 哀しいことに。
ここ岡山の足守での生活を「あしもり暮し」と呼んでいる。
一言で言えば退屈そのものな暮しなんだが、でもそこが気に入ってもいる。
時間に追われるような予定もなく、ずっと以前には考えられなかった毎日。
働き始めてからというものは、せかされていないと不安で、
少しオーバーだけど忙しくないと世の中から取り残されていくような。
あくせくそれなりにいっぱしの仕事をしている気になっていた
その頃の自分を思い出し、ちっぽけなことを大仰に勘違いして
やっていただけだったんだよと、ちと恥ずかしくなることもある。
いや、そんな過去のことを振り返るんじゃなくて、
退屈な暮しなんだけどこんなのもいいよと思っているあたりを書く。
東京と同じく一人暮らしだから気まま、でそのうえ閑だ。
基本的には何もすることがない。仕事と呼べるものがない。いや、
時折リモートの打ち合わせをやる。なんだか変な、臨場感があるようでない
ミーティングなんだけど週に何回かやる。だいぶ慣れてきたところかな。
ミーティングをやるということはまだ少し広告的な仕事をさせてもらってるということ。
まだ出来る、自信もありあり。物忘れはひどいけど、反してアイデアは自分でも
信じられないくらいビンビン湧いてくる。
バリバリコピーを書いてたころにこれくらいアイデアが浮かんでいれば
もっといい仕事ができていただろうなと思うけど、
ま、それはないか。
ことばとビジュアルを含めた表現を考えるのは楽しい。だいすきだ。
別にクライアントのためにではなくてもいいのだ。
自分自身を表現するのでも。自分のことを。ん、誰に?うん、誰でもでなく、
ただ表現することが。自分に絵が描けて、デザインがビシッとできたら
もっと楽しいだろうと、、今更だけど。
これから自分の住んでいく町足守を表現していこうかと思う。
それはこの町に土地を見つけた時からずっと思い続けている。
東京と岡山の2ヶ所で暮らそうと決めたのにはいくつか理由があるけど、
ただ岡山は実家以外で意味のある場所にしたかった。
足守に来たのは小学生低学年の頃以来、ほとんど記憶に残っていなかった。
でもこの町に入った瞬間なんか感じたんだね、この古い侍屋敷の町に。
過疎というほどじゃないけど薄寂れていたこの町を
住みながら、暮らしながらなんとかできそうな、
自分の手に負えそうな可能性を感じたんだ、なぜだかわからないけど。
この足守の町に呼び戻されたのかも、
親父の生まれ故郷だから。
ブログで?SNSで?なんでもいいから少しずつやろう。
そのためにまずは自分自身がこの町に溶け込んでいって、
少しずつ発信力を持てるような存在にならなきゃいかんな。
というわけで毎日町中をぶらぶらしている変な老人になっている。
侍屋敷の町並みはなかなかのもので毎日何かしら発見がある。
狭い町だからそのうち顔見知りになって知り合いも増えていくだろう。
すれ違う人たちには全員に挨拶する、皆さん必ず答えてくださってホッとする。
これからだ。